DIARYわいわい日記

わいわい広場のこと。1

2019.08.06

こんにちは。

初めまして。
わいわい広場の柳澤(直樹)です。

なんだかバタバタとしている間にブログを書けないままオープンから半月が経過してしまいました。大変申し訳ございません。

何から書いたら良いものか、、、

案ずるより産むが易し。
書きます。

はじめての投稿はここ、「浅間温泉 わいわい広場」という場所について。

・・・

長野県松本市にある浅間温泉。

「昔は賑やかだったんだよ」
地元の人は口々に言います。

きっと全国各地にありますね。昔は賑やかだった場所。

浅間温泉はそんな場所です。

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長野県松本市。
遡ること100年とちょっと。
明治大正の時代。

主たる産業は蚕糸業。
松本経済の最も大きな推進力であった片倉組松本製糸所を中心に、養蚕業、製糸業が盛んでした。

片倉工業は、かの富岡製糸場も操業していた大変大きな会社です。
その片倉財閥のひとつ、片倉組松本製糸所。
所長を務めた今井五介(片倉市助の三男、片倉兼太郎の弟)という方もまた、後世に名を残す大実業家であり、製糸所を大きくしただけでなく、電車(現大糸線)を開通させ、学校(現松商)を作り、今の松本市街地の原型を作ったとも言われる人物です。

そういった偉人たちが牽引し活気付く街中の製糸所。
蚕糸のもととなる繭を供給していたのは周辺の里山です。
山はいたるところに桑が植えられ、春夏秋と農家は養蚕に励みました。
そんな松本の里山の入り口に位置する浅間温泉では、養蚕とともに蚕種(お蚕の卵)生産も盛んだったようで、蚕種の取引のために訪れる人も多かったそうです。
この頃、浅間温泉の農家は春から秋までをお蚕、冬は湯治場としての宿を営むようになり、次第に今の浅間温泉の形が出来上がっていくことになります。

大正13年(1924)には、松本駅と浅間温泉をつなぐ路面電車が開通します。今から95年前のことです。
松本駅を出発し東に走ると片倉です。それから北上すると、その先の横田には遊郭、さらに進むと今の信州大学がある場所には陸軍がありました。それらを通り過ぎた終点が浅間温泉です。約18分の道のり。
日中は10分間隔で走っていたということですから、人の往来の賑やかさをうかがい知ることができます。
その後40年間、昭和39年(1964)に廃止されるまで、チンチン電車は松本駅と浅間温泉を繋ぎ続けました。

・・・

浅間温泉1丁目29番地17。
今わいわい広場があるこの場所は、もとは大きな旅館でした。
ホテル井筒。(昭和9年(1934)創業、井筒之湯)
建築家の野老正昭氏が手がけた旅館は、和とモダンが調和する秀逸な建築。
この旅館が建てられた昭和39年は、上記チンチン電車が廃止された年であり、前回東京オリンピックの開催年です。
高度成長に沸く日本中が、近代化へと突き進むなか、路面電車は自動車へ姿を変える。
小さな旅館は大型になる。そんな勢いに満ちた時代。

その後、平成27年(2015)にホテル井筒が幕を下ろすまで、和モダン建築は浅間温泉を見続けてきました。

そのような歴史ある建物が取り壊され、更地になるということはとても寂しい経験です。

その後2年ほど、温泉街の目抜き通りには、記憶だけがポッカリと横たわっていました。

令和元年(2019)。奇しくもまた、東京オリンピックを迎えるタイミング。
新たに苺園が建ち、芝生の空間が広がりました。

大きな旅館と比べれば、吹けば飛ぶような小さな事業。
まるで、ヒョッコリと、アスファルトから芽を出した雑草のようです。

浅間温泉に、なぜこのような空間が生まれたのか。

引き続き次回のブログで書き進めてみたいと思います。

直樹